苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である
山本五十六
山本五十六氏について(wikipedia等から抜粋)
(1884年4月4日 – 1943年4月18日)新潟県古志郡長岡本町出身の大日本帝国海軍軍人。
第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。栄典は正三位大勲位功一級。
身長は1m60cm、体重65kgで、小肥の立派な体格だった。
高木惣吉によればロンドン軍縮会議後に会った山本は『実物は五尺二寸ばかりの小男で、いかめしくもなければ、颯爽たる男振りというのでもない。舟乗りに似合わず低い声で、ひげのないやゝ長めの顔の特徴といえば眼が細く、口が大きくて意思的に締まっていること位であった』と述べている。
奥宮正武によれば山本は酒を飲まずゲームごとが好きでトランプに優れた。日露戦争で人差し指、中指が左手にない。内外問わず老若男女を差別せず接する人々を温かく受け入れた。手紙や書、和歌を多く書いた。
三和義和によれば、とっつきにくい人だったが、はかり知れぬ深さのある人で2,3ヶ月もすればたいていの人は尊敬し、なついた。
任務に忠実、自らに厳しく他人には寛大、エチケット、表現しづらい多くの要素」が一体となって山本の人格を形成し、太平洋戦争当時の日本海軍の中では最高の指揮官だったと話している。